Montpellierの発音はモンペリエかモンプリエか?

日本人はMontpellierをモンペリエと大体の人が発音するが、フランス人はモンプリエという人が多い。フランス語の発音の規則からするとモンペリエの方が正しいと思われるが何故だろう。他にもこういう例がある。Auxerre(89)をオーセールと発音したり、オークセールと発音したりす...

2016年4月29日金曜日

南仏の食材(3)トマトtomate

夏においしいトマト
トマトはにんにくと同様世界中で食べられているが、16世紀にメキシコからスペイン人によってヨーロッパにもたらされた。当時「日の沈まない国」と言われたスペイン帝国の本国とスペイン領だった南イタリアから地中海沿岸に広がった。北フランス・パリにはフランス革命1周年記念大会の時、上京したプロヴァンス人がもたらし、レストランでも出すようになった。

フランスでは生産量はそれほど多くはないが、南フランスではいろんな形で料理によく使われる。生で食べたり、オーブンで焼いて食べたり、ソースに使ったり、イタリア風の乾燥トマトもある。生の場合、オリーブオイルと相性がよく、ニース風サラダ、トマト・モッツアレラ、カマルグ風お米のサラダなど熱い夏にはいい。焼いたとまとでは、トマトファルシ(トマトの肉詰め)、にんにくとパセリとパン粉をのせて焼いただけのトマトプロヴァンサルがおいしい。ソースと言えば、ソースボロニェーズ(日本のミートソースに似ている)が一番ポピュラーだが、カタロニア風、プロヴァンス風、ナポリ風ソースみんなトマトソースだ。家庭では、缶詰のソースが使われるが、凝縮トマトソースは欠かせない。乾燥トマトはイタリアに行くとアンティパスタで食べるが、やや塩気があって、ハーブとオリーブオイルと共に食べる。

子供の頃、トマトは果物か野菜かと考えたことがある。植物学的には子房が変化したものだから間違いなく果物だ。ただ、料理学的には、他の果物のように甘さがないので、塩を加えてつけあわせあるいはソースで野菜として扱われる。フランスのスーパーでは野菜果物は 自分で好きなだけ袋に入れて秤で計るが、トマトは野菜の部類に入っている。

最近様々なトマトが出ているが、Cœur de bœuf(牛の心臓)というトマトがある。縦に筋が入っていて、水分がやや少なく変わった味だ。

2016年4月24日日曜日

フランスの県の話

現在フランスには101の県があってアルファベット順にAから番号がついている。車のプレートには県の番号ついていてどこからきた車かわかるようになっている。101とはやや中途半端だがコルシカ島が県としては20番だが、コルス・デュ・シュド(2A)とオート・コルス(2B)に分けられるから一緒にすれば5つの海外県を合わせてちょうど100になる。昔は中学校で県の番号を覚えさせたと聞くが、100もあるとなかなか覚えられない。自分が住んでる県の周りは覚えられても、行ったことのない遠い県はすぐ忘れてしまう。日本の県名と違って数字を使うために抽象化されているためだ。

またフランスの県の名前は多くの場合、その県を流れている川の名前からつけられている。ストラスブールがある県は、バ・ラン(67)。ランはフランス語でライン川をこう発音し、バは下流を意味する。モンペリエのある県はエロー県(34)、エロー川が流れている。かのローマ時代の水道橋ポン・ド・ガールがかかっているガルドン川は、元はオキシタン語からきているらしいが、県名のガール(30)と同じとみなしていいようだ。

南フランスで面白い例外が二つある。一つは、アヴィニョンのあるヴォークルーズ県(84)で、山の中腹にあいた穴から水があふれ出ている(フォンテーヌ・ド・ヴォークルーズ)。水藻が一面に生えたきれいな川はソルグ川となり、一帯を潤している。ここでは川の名前ではなく、泉の名前が県名にあなっている。ヴォークルーズとはラテン語のVallis clausa(閉じた谷)からきている。二つ目は、トゥーロンが県庁所在地のヴァール県(83)だ。確かにヴァール川という川はあるが、県内を流れず、隣のアルプ・マリティーム県(06)を流れている。この例はフランスの県では例を見ない。これは、1860年に行われた、フランスへの帰属を決める住民投票(男だけ)で当時のニース伯爵領とグラース郡が新しい県になったためだ。グラース郡の地域がヴァール県に食い込んでいる。

最後に、県はフランス革命の時に制定されたが、今でも5つの海外県が世界中に散らばっている。その中で仏領ギアナ(973)はジャングルばかりとはいえ、広大な領地だ。よく人工衛星の打ち上げでニュースなどで紹介される。本国の県と同じように同じ郵便局があり、ユーロが使われている。アルジェリアも1962年の独立まで県がいくつかあって本国の県と同等に扱われた。

2016年4月17日日曜日

フランス町歩き① ペゼナスPézenas(34)

ペゼナスの町は南仏エロー(Hérault)県(34)にある町だ。13世紀にはじまり、18世紀まで年3回~5回の定期市で栄えた。その当時の定期市としては、北のシャンパーニュ、南のペゼナスと言われたほどだった。15世紀の大商人あのジャック・クール(Jacques Cœur)もモンペリエに店を開いた後、定期市のためにこの町に住んでいた。モンペリエには現在ジャック・クールという市場がある。

17世紀の喜劇作家・役者のモリエールもこの町と関係が深い。アルマン・ド・ブルボン公に保護され、劇団を引き連れて地方を巡業していたモリエールは、15世紀以降2世紀以上ペゼナスで開かれていたラングドック三部会の人たちのために1653年に劇団を連れてやってきた。演劇といっても現在のようにオペラ座がいたるところにある時代と違い、上演はすべてプライベートで行われた。ブルボン公がベゼナスに住んでいたのでやってきたのだろう。

 町の歴史地区を歩いていると古い建物(14~16世紀)がかなり残っていておもしろい。定期市があったため、ユダヤ人地区もある。それらの建物の1階には小さなブティックが店を並べていて、見て回るだけでも楽しい。町のあらゆるケーキ屋さんで売らているのがパテ・ド・ペゼナス(写真)だ。変な形をしているが、糸巻きの形らしい。パテだから食事の最初に白ワインといっしょに食べるようだが、味は甘くてしょっぱい味だ。食べる時少しあたためろとケーキ屋の女将に言われた。

2016年4月14日木曜日

南仏の食材(2)にんにくail

にんにくは古代エジプトでは紀元前3750年頃から栽培されていたらしい。古代ギリシャではオリンピックの運動選手が記録を伸ばすために好んで食べ、古代ローマでは遠征中の兵士に耐久力をつけるために食べさせた。ヨーロッパに広がるのは、十字軍遠征から帰ってきた人たちのおかげらしい。万能薬とみなされ、中世ではペストや悪魔にとり憑かれないとみなされた。また、匂いが強いため、14世紀のスペインの王様は、にんにくを食べた騎士は1か月間宮廷に出入りを禁止したという話もある。

地球上のほとんどの国で生産されているが、中国、インド、韓国が生産量が多い。 フランスでも 産地は沢山あるが、白、むらさき、ピンク、燻製(ノール県アルルー)など種類も多様だ。個人的好みを言えば、タルヌ県ロートレックのピンクのにんにくが好きだ。小粒で身が締まっていて、匂いはやや強いが味がある。

料理ではオリーブオイルと一緒に使われるが、南仏ではブイヤベース、アイオリ、セット(エロー県の漁港)風ルーユ(ブーリード)など魚料理、またドーブ(牛肉のワイン煮)にも使う。まだ食したことはないが、にんにくのスープもあるらしい。カタロニア風エスカルゴではトマトソースの中ににんにくが入っている。タパスのPan con tomateもおいしい。

【遊びのフランス語】フランス語では複数の場合、SかXを最後につければいいが、このにんにく(ail)は変わっている。ただSをつけてもいいが、マルシェなどの表示ではAulxと書かれている。これでオーと発音する。オーという発音する単語で骨Osの複数形がある。これも変わっていて、単数ではオスと発音する。

2016年4月12日火曜日

フランス(語)雑記①

2013年にフランス人の7%がフランス語を書くのと読むのにに重要な問題があるとINSEEが報告している。我々日本人にとっては、フランス語を習い始めたとき、何でフランス語は発音しない字があったり、文法の規則が複雑だったり感じたと思う。フランス人にとってもフランス語は少なくとも7%の人たちには難しい。

同じラテン語を起源に持つスペイン語やイタリア語に比べても余分な規則が多い。例えば、フランス語は冠詞をほとんど必ず名詞の前に付ける。しかも定冠詞や不定冠詞だけならまだいいが、部分冠詞なんて変な冠詞がある。スペイン語やイタリア語はない。 部分冠詞なんていらないんじゃないのという人もいるかもしれない。とにかくフランス語には余分なものが多い。日本人にとってはこの余分なものがフランス語を習う時に障害になっている。

この余分なものはフランスの社会では生活に必要なのかもしれない。芳香を放つローソクは、教会のローソクと違って「遊び」だ。他にも「遊び」がある。「遊び」になるものはもしガチガチの合理主義からみれば余分だ。

フランス語にある「遊び」は、言語学的変化がなせる業なのか、それともフランス人の好みか。無意識にフランス語をつくるのはフランス人だが、7%の人たちはなぜついていけないのか。フランス語は規則が多すぎるからかもしれない。

2016年4月8日金曜日

De Casanova

...j'ai pour la première fois de ma vie à l'âge de trente ans appelé à mon secours la philosophie dont j'avais tous les germes dans l’âme...  
                                     
 ・・・人生30歳にして初めて心の中に芽生えていた哲学に救いを求めた・・・(拙訳)


この一節はヴェニスの監獄ピオンビに収容され時のものだ。あとでそこを脱走するのだが・・・この「哲学」という言葉が訳すのが難しいが、何を意味するのだろうか?単に「新しい考え方」なのか。この種のフランス語の言葉が本を読む時、漠然と把握したつもりで逃げていく。母国語でない人間にとっては宿命か?

数日後・・・カサノヴァは18世紀のパリ にやってきた。副王とみなされていたド・ショウワジュールやポンパドール伯爵夫人が出てくる。その会話からそれぞれの人柄が見えておもしろい。勿論そのままの言葉を使ったとは思えないが、NHKの大河ドラマみたいだ。ルイ15世時代は、3つの戦争が原因でひどい財政危機になる時代だが、カサノヴァはその社会を生きていく。

2016年4月7日木曜日

南仏の3つの食材(1)オリーブオイルhuile d'olive

南フランスだけではなく、広く地中海沿岸で広く料理に使われる3つの食材といえば、(1)オリーブオイル、(2)にんにく、(3)トマトだ。これから3回にわたって歴史、生産と生産地、料理などを調べてみたい。

 オリーブオイルは、古くギリシャ時代から料理、コスメティック(化粧品)などに使われていた。紀元前3世紀に哲学者のテオプラトスがオリーブオイルの匂いにつぃて語っているようだ。現在のフランスでの生産量は、スペイン、イタリア、ギリシャなどに遠く及ばないが(世界21位2013年)、AOC,AOPなど産地品質保証名が8つある。ニオンス(Nyons)、レ・ボーの渓谷、エックス・アン・プロヴァンス、オート・プロヴァンス、プロヴァンス(どこ?)、ニース、コルシカ島、ニーム。

 さて料理だが、乳牛のいない南フランスではバターよりもオリーブオイルがすべての料理に使われる。サラダ、パスタ、肉野菜の料理それから揚げ物にも使われる。アイオリ、ルーユ、アンショイヤードなどの料理のソースもオリーブオイルがベースだ。

 いつか生産者の人がいっていた。「他のヒマワリの油などと違って、オリーブオイルは、種と果実から作られる」と・・・

2016年4月6日水曜日

アルル駐車場事情

4月からアルルで新しいオダトゥール(写真)が設置された。プレイトナンバーを入れなければならず、料金体系の違うゾーンが3つある。友人によればこれはアメリカ式ということだが、以前のやり方の方がよかった。チケットを出すのに時間がかかるのでオダトゥールの前に行列ができる。見回る人も仕事が増えたわけだ。

田舎町のアルルにはこのシステムは似合わない。 そのために有料ゾーンはガラガラだ。

2016年4月5日火曜日

受胎告知の日

今年は復活祭が3月27日と最速だった。復活祭は年によって動くけれどもどう決められるのか。春分の日と満月の関係で決められる。今年は春分の日が3月20日で満月が3月23日だった。復活祭は満月の次の日曜日になる。

今年は復活祭が早かったために受胎告知の日も動いた。本来はキリストが生まれてから9か月後の3月25日だが、今年は復活祭が4月2日より早くなったので復活祭後の第二月曜日の4月4日になった。

とても細かい規則。キリスト教の暦もそれなりにちゃんとできている。キリスト教信仰が薄らいできているフランスでこんなことを考えているのは、日本人の僕ぐらいなものだ。

2016年4月4日月曜日

プロフィールの写真


この写真はネットで拾った、Senlis(サンリス)の大聖堂のステンドグラスの一部で、サン・ルイ王がドイツ皇帝(右)とイギリス王の仲直りを仲介している場面らしい。サン・ルイはナイーブな面はあったものの、彼の真摯な性格のおかげで諸侯に信頼されていたようだ。「真剣に」十字軍に二回もいき、エーグ・モルト、カルカソンヌのお城、また、パリのグランド・シャペルもつくった。ただのボンクラなフランス王ではない。また、謎に満ちていて(取り巻きが作り上げた?)、魅力的な人物だ。

フランス王の中には、面白い人物が多い。フィリップ・ル・ベル、アンリ4世、ルイ14世、ルイ16世など・・・

(参考)Saint Louis, Jacques LE GOFF

まえがき

それではさて何を書くか?書く内容は山ほどある。しかし、どう見てもすべての話が完結していない。恐らく死ぬまで書き続けて死によって中断されない限り、終わらないだろう。本を書くように完結した形にならないのがブログなのか。とにかくそのままでは消えていってしまう記憶をはっきりさせるように書いていこう。

2016年4月3日日曜日

D'un endroit à l'autre

D'un château à l'autre... Le soleil brillait au large de la mer bleu clair et le vent venant du nord soufflait sans insistance. J’étais dans un château ruiné prés d'un olivier séculaire qui semblait me protéger du soleil et du vent.

オリーブの木の下で

フランスに来てから30年を超えてしまいました。その間フランス中を旅する機会があっても何も書き残さずに過ぎてしまいました。しかし、まだ記憶の中にあ の時感じた驚きやためらいの痕跡が残っています。ヴェネチア人のカサノヴァは、フランス革命の年に”Histoire de ma vie"を書き上げました。友達がこの世を去っていき、自分の体に変調が起きるようになった時、死を感じずには生きられなくなってきます。あの時見たマル セイユの早朝の街角や真夏のぶどう畑の息苦しさ・・・何か書き残すことを決心しました。カサノヴァの例にならって・・・