Montpellierの発音はモンペリエかモンプリエか?

日本人はMontpellierをモンペリエと大体の人が発音するが、フランス人はモンプリエという人が多い。フランス語の発音の規則からするとモンペリエの方が正しいと思われるが何故だろう。他にもこういう例がある。Auxerre(89)をオーセールと発音したり、オークセールと発音したりす...

2016年11月7日月曜日

④Via Turonensis パリ発

パリ(75)のシテ島からサン・ジャック通り(ローマ時代のメインストリート)を南に進む一番遠い道は、トゥールを通るためにこの名前が付いた。パリは巡礼の時代すなわち11~13世紀には人口5万人前後の町であった。

オルレアン(45)からロワール川に沿ってブロワ(41)を通ってトゥール(37)に至る。トゥールではサン・マルタンにゆかりの場所を回ったのだろうか。この聖人は、4世紀の人ではじめてガリアの地で修道院活動を行ったと言われる。ローマの軍人であったが、凍えた乞食に自分のマントを与えたという故事から、施しの聖人と見なされている。ヨーロッパでは広く名前が伝わっていて、フランスの準守護聖人にもなっている。

ポワティエ(86)では、サント・ラドゥゴンドとサン・ティレールが崇められた。ラドゥゴンドは6世紀の人でフランク族王のクロテールの王妃にされたが、逃れて修道女になり、祈祷所とフランスはじめての病院を建て自ら病人の世話をした。その後、ポワティエにノートルダーム修道院を建て、数々の病気治癒の軌跡を起こした。一方イレールの方は4世紀の人でサン・マルタンと同時代の人で実際サン・マルタンはポワティエまで来ている。聖人としては、人民にカトリックの教義を説いたり、聖書注釈などを書いた理論家であった。様々な作品の執筆をしながら、最後はガリアでは稀なオルトドクスの教会の大司教になった。

メル(79)にもサン・ティレール教会があるが、正面の建築様式が似ていて、やはりオルトドクスの教会だったのだろうか。それともサン・ティレールの遺骸がここにもあったのだろうか。メルからポンス(17)までの行程は、それぞれの区間が30㎞以下の距離で1日に歩ける距離だったのだろうか。

オルネー(17)にある、サン・ピエール教会は、古代ローマ時代からある墓場の中に立っている。また、墓場にはこの地方独特のホサナ十字架と4人の使徒の石像が立っているようである。4人の使徒とはヨハネ(北)、パウロ(南)、大ジャック(東、巡礼の恰好をしているらしい)、ペテロ(西)だ。教会の壁の彫刻は大分修復されたようだが、ペテロが殉教したと伝えられる逆さ十字架の像や数々の興味深い彫刻が残っている。

サン・ジャン・ダンジェリーには、9世紀に洗礼のヨハネの遺物を祀った修道院があったと言われるが、バイキングによって破壊された。

サント(17)にはサン・トゥトロップ大聖堂があるが、クルニー修道院が管理していて、何人かの修道僧が巡礼者たちを受け入れたようだ。

ポンス(17)は中世の城壁に囲まれた町だったが、巡礼の人たちのための病院があった。元々病院は城壁内にあったようだが、日が暮れると安全のために城門を閉じてしまうため巡礼者たちは翌日の朝まで待たねばならなかった。また、伝染病が城壁内に広がることを恐れて、後に領主が城壁の外に病院を建てたとされる。また、この病院は巡礼者でなくても受け入れ、その他寝るところと食事などを提供していた。捨て子のために病院入口には籠が置かれていたという話もある。

ボルドー(33)では、サン・タンドレ大聖堂、サン・スーラン教会、サン・ミッシェル教会などに巡礼者たちは立ち寄ったと思われるが、詳細はわからない。また、サン・ジャック病院があり、治療を受けた。この町ボルドーは1154年イギリス王朝の支配下に入ったが、巡礼者に何か影響があったのだろうか。

ソルド・ラベイ(40)では、サン・ジャン修道院に泊まった。水量の多い2つのガーヴ(川)を渡るには待つこともあったかもしれない。川を渡れば目指すはサン・ジャン・ピエ・ド・ポールだ。




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