Montpellierの発音はモンペリエかモンプリエか?

日本人はMontpellierをモンペリエと大体の人が発音するが、フランス人はモンプリエという人が多い。フランス語の発音の規則からするとモンペリエの方が正しいと思われるが何故だろう。他にもこういう例がある。Auxerre(89)をオーセールと発音したり、オークセールと発音したりす...

2016年10月21日金曜日

①Via Tolosana アルル発

この道はアルル(13)から出発してトゥールーズを通るのでこの名前が付いたと思われる。主に湿地帯を通るため比較的平坦なコースだった。

アルルのサン・トロフィーム教会には沢山の巡礼者たちがミサを聞いたに違いない。このトロフィームは3世紀にローマのローマ教会からガリア(今のフランス)に送られた7人の伝道者の一人でその7人が最初のガリアの司教になったとされるが、どんな奇跡を起こしたなどの話はなく、あくまでも伝説の域を出ない人物だ。現在の教会は12世紀に建設されたが、以前に重要な教会があったと思われる。少なくともアルルはミニ巡礼のばしょではなかった。

アルルを出ると舟橋か渡し舟でローヌ川を渡り、広大に広がるカマルグの湿地帯を進むとサン・ジル(30)に到着する。伝説によるとサン・ジルという聖人は7世紀ごろの人で、ミサを執り行っている時、天使が祭壇の上にフランス王の犯した罪を書いた羊皮紙を持って現れ、ミサが進むにつれ、その書かれた罪が消えていったという伝説がある。伝説はあくまで伝説だが、巡礼者を引き付ける話だ。巡礼に旅立つには何か理由がある。サン・ジルはすでにサンチアゴの前に巡礼地であった。

その後、それほど大きな町ではなかったモンペリエ(34)を通り、山側のサン・ギエーム・ル・デゼール(34)に進む。804年にトゥールーズ伯のギヨーム(オック語ではギエーム)ジェローヌという小さな川の上流に修道院を開いた。当初 キリストの十字架のかけらが聖物として納められており、すでに多くの巡礼者を引き付けていた。

トゥールーズまで距離があるが、ローマ時代の道の地中海と大西洋を結ぶ、比較的平坦な道を進んだに違いない。途中カルカソンヌ(11)のサン・ナゼール教会に寄ったかもしれない。トゥールーズのサン・セルナン大聖堂は多くの巡礼者を引き付けたことは建物の大きさ、構造を見れば安易に想像できる。セルナンという人は250年に野生の牛に引きずられて、現在のカピトゥール広場から大聖堂を結ぶ、昔のメインストリート(現在のトール通り)の途中で 息絶えたという凄まじい伝説の残る聖人だ。セルナンはサテュルナンとも呼ばれ、南西部の至る所に町の名前として残っている。どんな人物であったのだろうか。3世紀はガリアでは殉教(すなわち迫害)の時代だが、殉教者が巡礼者を引き付けたのだろうか。そう言えば、パリの聖人サン・ドニも3世紀に殉教したと言われる。首を切られた後、自分の首を持って歩いたという殉教の仕方も凄まじい。サン・ドニも多くの巡礼者を引き付けた。

トゥールーズを西に進むとガスコーニュ地方のオーシュ(32)に着く。現在、巨大なゴシックフランボワイヤン様式の大聖堂サント・マリ・ドーシュがあるが、9世紀頃に同名の教会があったようだ。巡礼者の間では、道中安全にサンティアゴまで導いてくれるマリヤ信仰は殊更重要だったようだ。巡礼の道にはマリア(ノートルダーム)の教会が多い。また、黒いマリア像も多い。黒いマリアについては後述するが、19世紀のマリヤ信仰復活も含めて、キリスト教の真髄を流れている。

ローマ時代のスペインへの道は、教会入口の彫刻がすばらしいオロロン・サント・マリ(64)を通って、ソンポール峠を越えて、スペインに入る。どの巡礼の道もローマ時代の道を少なからず通っている。


0 件のコメント:

コメントを投稿